1945年8月6日、広島市に原子爆弾が投下されて多くの人命が失われたのは既にご存知だと思います。
爆心地近くの公園には、折り鶴を掲げた少女の像があります。
折り鶴を掲げた少女の像は「原爆の子の像」と呼ばれ、今でも日本のみならず世界中から、2度と同じ悲劇が起きないように平和への祈りを込めて、多くの折り鶴、千羽鶴が送られてきます。

折り鶴や千羽鶴が平和の象徴となったのは、「原爆の子の像」のモデルになった原爆被爆者の少女、佐々木禎子さんが千羽鶴を折ったことによリます。

1945年、当時2歳のときに被爆した禎子さんは、当時は目立った外傷もなく元気に成長しました。
しかし、12歳の秋(1954年)に突然発病して、翌年2月に白血病と診断され入院。折り鶴を千羽折れば病気が治ると信じて鶴を折り始めたそうですが、1955年10月25日に祈りも虚しく亡くなりました。

禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で1958年に平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。

その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。